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世界の太陽光を支え続けて30年。リーディングカンパニーが見据える未来。

株式会社エヌ・ピー・シー
代表取締役社長 伊藤 雅文

更新日:2026年9月16日

大阪府出身。1986年、大阪府立大学工学部機械工学科卒業後、総合商社イトマンに入社し、機械営業に6年間従事。1992年、食品用真空包装機メーカーの事業を引き継ぐ形で株式会社エヌ・ピー・シーを設立。太陽電池製造装置メーカーとして世界市場を切り拓き、2007年に東京証券取引所マザーズ市場(現:グロース市場)へ上場。2011年より現職。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

この記事でわかること

  • 世界の太陽光を製造装置で支えるエヌ・ピー・シー
  • 真空包装機の技術を太陽光へ応用し、世界市場を開拓
  • 市場崩壊と65億円の借入を乗り越え、無借金経営へ
  • パネルのリサイクル技術と次世代太陽電池への取り組み
  • 世代交代を見据え、30~40代の多様な経験を求める

世界の太陽光を、松山から支えてきた。

太陽光パネルは、シリコン製のセル(薄い板)を配線でつなぎ、封止材(透明な接着クッション)とガラスで挟んで作られます。私たちが手がけているのはパネルそのものではなく、パネルを生み出す製造装置です。30年にわたり世界に供給し、装置を納めた国は約50カ国に上ります。今や売上の約8割を海外市場が占めています。

主力は「ラミネーター」と呼ばれる装置です。並べたセルを封止材とガラスで挟み込み、真空状態のもとで熱と圧力をかけて一体に貼り合わせます。わずかな空気の残留や、貼りムラがあると、屋外で20年、30年と使い続けることはできません。

まさに、パネルの品質と寿命を大きく左右する装置です。また、セル同士をハンダ付けでつなぐ工程の自動化装置も手がけており、当社が成長していく中で、ラミネーターと並ぶ事業の柱となりました。

これらの装置は、そのほとんどがオーダーメイドの受注生産です。お客さまごとにパネルの大きさも、生産量も、工場のレイアウトも異なり、ご要望を伺って一台ずつ設計していきます。大きなものになると、家一軒よりも大きな装置になります。

開発も設計も製造も、その中心は本社のある東京ではなく愛媛にあります。技術者を含め約150名が松山で働いており、東京にいるのは管理と海外営業の窓口を担う20名ほどです。

松山工場では、装置の開発・設計から部品の調達、組立、そしてお客さまの工場での据付まで一貫して手がけています。品質と環境のISO認証も、この工場で取得しました。世界の太陽光産業を支える技術の本拠地は、ここ愛媛にあるのです。

一台の機械から、すべては始まった。

私は大学で機械工学を学びましたが、最初に選んだのはメーカーではなく総合商社でした。配属されたのは機械営業でしたが、繊維や食品の強い商社だったので、当時の機械部門には看板も固定客もありません。苦労も多かったですが、今思えばその経験が後に生きました。

20代後半には、経営の傾いた子会社の立て直しにも携わりました。営業所を一つひとつ回って、人と資産の状態を確かめる。会社というものがどう回り、どう傾くのか、若いうちに現場で学ばせてもらいました。

ただその後、会社が大きな事件を起こし、経営再建の渦中に置かれました。「ここで長く働き続けることはできない」と感じていた頃に、取引先からある話をいただきました。食品の真空包装機メーカーの事業を引き継がないか、というお誘いです。

2億円ほどの負債を抱えた会社で、その借入を丸ごと引き受けることが条件でした。それでも私は職場の先輩や同僚数名と、この事業を引き継ぐことを決断したのです。

20代後半、すでに家庭もありましたし、親にも反対されました。それでも、機械の仕事を続けたい、今度は自ら「ものをつくる側」に回りたい、という想いがありました。1992年、それがエヌ・ピー・シーの始まりです。

しかし、創業してすぐ、受注した機械を作る担当者が次々に辞めていくという事態に見舞われました。作れる人がいない中、私は以前納めた機械を写真に撮り、知り合いのエンジニアに助けを求めながら自分でも勉強をして、なんとか一台を仕上げました。

それが私の技術者としてのデビューです。どんな窮地でも何とかする。その感覚は今も私の根底に流れています。

世界市場へ。そして、松山が本拠地に。

転機となったのは、太陽電池の製造に関わる機会を得たことです。食品の真空包装機で培った「圧をかける」技術を応用し、太陽電池のセルを封止するラミネーション技術の開発に取り組みました。

当時はまだ、日本に太陽光パネルを量産しているメーカーがほとんどない時代でしたが、海の向こうには大きな市場があると確信し、開発へと突き進みました。

1995年12月に独自技術の米国特許を出願し、翌年4月にアメリカへ渡ります。商社の看板もなく、海外取引の経験もない。文字どおりの行商です。それでも、当時世界一だったメーカーが私たちの技術を高く評価してくれ、そこから一気に道が拓けました。

ほどなくして、私たちは競合の機械を次々に置き換えていきます。1996年にアメリカ、1999年にはドイツへと拠点を広げ、世界へ広がっていく中で松山との縁も生まれました。

ある工程の自動化装置を開発するため、真空包装機時代にお世話になった愛媛の会社から、そのグループ会社を紹介してもらったのです。実際に訪ねてみて驚きました。当時20代だった若手設計者たちが図面をさっと引き、部品を素早く作って機敏に応えてくれる。

「こんなことができるのか」と感銘を受けると同時に、「この人たちと仕事をしたら面白い、絶対にうまくいく」という直感がありました。この出会いが松山を本拠地とすることへとつながりました。

規模を追う経営から、大切なものを守る経営へ。

2000年代に入ると、ドイツの固定価格買取制度をきっかけに、太陽光の市場が世界的に沸き立ちました。先に実績を積んでいた私たちは、その波に乗って一気に事業を拡大。組織もグローバルで650名、国内だけでも400名規模へと成長し、「太陽電池装置といえばエヌ・ピー・シー」と称されるほど、業界内での存在感を高めていきました。

ところが、市場が一転します。パネルを作れば欧州で売れるという市場の中、中国メーカーが国の支援を背景に多数台頭した結果、過剰生産に陥り、価格ダンピングが始まったことで市場が崩壊しました。

欧米のパネルメーカーが次々に撤退、倒産。受注のキャンセルが起こり、高値で買収したドイツの会社も重荷になったことで、借入はピークで65億円に膨らみました。市場の変化を読みきれなかったのです。

その一番苦しい時期、2011年に私は社長に就任しました。最初の1年は子会社の整理とリストラに追われる日々でした。この時期に私が目指したのは、「大切なものを、ちゃんと大切にできる会社」です。上場して以来、株主や投資家、そして規模の拡大ばかりに意識が注がれてきた経営を、根本から改めました。

赤字でも受注を取りにいくのではなく、しっかりと利益を確保する。そして、働く人の安心のために退職金制度や給与制度をきちんと整え、社員の暮らしと会社の土台を守る。その決意を胸に、2018年には無借金体制となりました。

つくる側から、その先へ。

生き残ってきた私たちは今、二つの新しい柱を育てています。

一つは、太陽光パネルのリサイクルです。パネルは解体しなければリサイクルができません。「それなら、装置を作ってきた自分たちにこそできるはずだ」と考え、2015年に独自の分離技術「ホットナイフ分離法」の開発に着手しました。

破砕して混ぜてしまうのではなく、素材ごとにきれいに分離する。パネルの構造を知り尽くしているからこそ、高精度な解体が可能となったのです。この方法は、破砕装置メーカーには真似ができません。

2012年に始まった日本版の固定価格買取制度(FIT)を契機に大量導入された太陽光パネルが経年劣化などにより寿命を迎え、2030年代には使用済みパネルの大量廃棄が本格化します。この分野において、私たちはオンリーワンの存在になれると見込んでいます。

また、太陽光パネルリサイクルで産業廃棄物処理の分野へ進出できたこともあり、パネル以外の廃棄物の処理装置へも展開を広げ、松山市内の廃棄物処理会社へビンの選別装置を納入しました。

もう一つの芽は、次世代太陽電池として期待されるペロブスカイトです。軽くて安価という強みを持ち、国も育成に注力するこの技術分野において、私たちは開発用の装置を提供しています。

かつて日本の太陽光パネル産業が価格競争に敗れた反省から、政府も今回は本腰を入れています。「つくる技術」で世界を支えてきた私たちは、その先の未来に向けて着実に領域を広げているところです。

その他にも地域に根差した取り組みとして、2021年から工場の空きスペースを活用したレタスの水耕栽培を始めました。私たちのような機械メーカーは一般の方の目に触れる機会がどうしても少ないため、地元の方々にエヌ・ピー・シーの存在を知ってもらいたいと考えたのです。

また、「自分たちの会社が作ったものがスーパーに並び、地域の人々の暮らしの中にある」という事実が、社員のちょっとした誇りにもなればという想いもありました。おかげさまで少しずつ人気が高まり、今では栽培したレタスのほぼすべてが売れるようになっています。

愛媛に根ざし、仕事はグローバルへ。

未来を担うのは、やはり「人」です。今、当社には世代交代の時期が近づいてきています。長年支えてくれたベテランが定年を迎える一方で、次世代を担う30~40代の中間層が少し手薄になっている状況があります。だからこそ、さまざまな経験を持つ方に、ぜひ力を貸していただきたいと思っています。

大事な要素は、本音で話せること、物事を丁寧に考え誠実に向き合えること、そして過去のやり方に固執せず柔軟であることです。それらを備えていることが、私たちの風土で活躍いただくための条件だと感じています。

私たちの仕事の多くはオーダーメイドの受注生産で、お客さまの要望を伺って一台一台の装置を作り上げていきます。分業が主流の環境だった方ほど、一貫して携わる手応えや面白さを感じられるはずです。

しかも、その相手は国内だけでなく世界中に広がっており、松山にいながら世界を相手にものづくりができます。世界の太陽光産業を支えてきた私たちは、これからの未来を共に創り上げていく仲間を心から待ち望んでいます。

編集後記

コンサルタント
川田 基弘

今回のインタビューでは、世界の太陽光パネル製造装置市場を松山から切り拓いてきた同社の歩みをお伺いしました。借金や市場の急変といった激動の窮地を乗り越え、「大切なものを守る経営」へと舵を切った伊藤社長の強い決意と誠実な姿勢が非常に印象に残っています。

太陽光パネルの構造を知り尽くしているからこそ実現した独自の手法によるリサイクル事業や、次世代のペロブスカイト太陽電池への挑戦では、同社ならではの強みが存分に活かされているように感じます。

愛媛・松山に深く根を張りながら、世界の持続可能な未来を力強く照らし続ける同社の次なる展開から、今後も目が離せません。

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